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    PAC 刑務所アート 公式サイト

    Prison Arts Connections > ギャラリー > エッセイ

    ギャラリー

    • 「Si vis pacem, para bellem. 汝、平和を欲するならば戦への備えをせよ。」「もしも、自分の心の中に信念というものがあるなら、どんな相手にも立ち向かえる。」「生きていく事は、ほとんど後悔の連続だ。これは生きていく上で絶対に逃れられない。だから大切なのは後悔をしたあとに自分がどんな行動を取れるかである。」「生きていれば、世の中と折り合いが付く事ばかりではない。だから、その時々の自分の行動が何の為だったのか自分で分かっていればそれでいい。」「小さな手抜きをするな。必ず後悔する。」「何かを決断するという事は、それによって生じる全ての責任を自分で背負うという事だ。その覚悟をした上で、他の誰でもない自分の心に問いかければいい。一人の自由な男として。」「自分の人生の決定権を他人に委ねるな。」「成功とは1%の才能と99%の努力である。だが、裏を返せばこのエジソンの言葉は何かで成功するには1%の才能が無ければ99%の努力は無駄だという事で。つまり、何かで成功する為の前提条件にまずは“才能”であることを意味している。だが、悲潅することはない。この世に生を受けて、なんの才能も持ち合わせていない者など一人もいないからだ。」「大切なのは誰かになる為ではなく、自分が他人より優れた才能や能力を見つけ出して、ソレを伸ばす為に頑張る。それが正しい努力の仕方だ。」「努力量が足りていない努力は努力ではない。誤った努力もまた努力ではない。」「人間として一番身近な自分を愛せない人がどうして他人を愛せるのか。」

      羅針盤 – 蜂野文也

    • 無期囚として受刑生活へ入る時、1人前に絶望というものを感じました。友人・知人とは、全く連絡の連絡のとれない時代で、様々なものを失い、人生が終わったとも思いました。当時は、無期刑も、20年以内に仮釈放されていた時代ですが、身勝手で反省も無い私は失われる年数ばかりが重くのしかかっていました。そして、無期刑がどんどん長期化されてい、本当に、浦島太郎となって行く状態に伴わせて、向き囚の60%以上が、獄死して行く厳しい現実の中でも、前を向いて生きるには、生き方を変えないといけないと思い、そこから、何度も失敗をしていきます。何しろ、まともに反省をしたことも無く。そんな人間が、生き方を変えるというのは、どうすればいいかすらわからないことばかりでした。失敗から学ぶこともあり、キリスト教のボランティアの方との交流や励ましもあり、一歩一歩、前へ進められるようにもなりました。長年の受刑生活で、感情のコントロールもできるようになると、

      時の流れ – 風見鶏

    • 邂逅 – シャーマン・アイリス

    • 令和5年9月8日 漆黒闇の思考 「私の大切な時間」 私の好きな時は今だ残暑があり、この糞暑い夜中に夜明けを楽しみにし、「ああでもない」「こうでもない」と想い巡す時間です。本日の予定を整理する時間でもある。今はなき妻の遺影に向いながら合いづちのない会話を楽しんでます。(自慰といったらいいかな!) 今気になっているのはエンゼルスの大谷選手の快我の状況と移籍のことです。 彼の能力の高さは世間一般の人が認めそのレベルの高さは目を見張るものが多大です。アメリカ発祥の「ベースボール」にこんな日本人がアメリカの大リーグを席捲しているとは同じ日本人として大いに誇らしく思います。 それにしても先達の野茂英雄氏の意見が聞きたいものです。

      蟻蛾十 – 日々是頓

    • 私はコロナに係るお金の不正取得に携わった結果、某社会復帰促進センターで服役している。恵まれた処遇環境に感謝しかなく、自庁の職業訓練に参加して資格を取得、出所後の就職先まで内定した。温かい刑務官らに支えられ、この上ない社会復帰への道を歩ませてもらっている最中である。 出所の目途が立ってきたことから、受刑経験について考えることが増えた。 刑の執行を終えると、受刑者身分は消えて元受刑者になる。元受刑者の肩書きは、刑の免責を経てしても一生消えることはない。 それならば向き合おう。私の受刑経験を昇華させ、役に立つ術はないか考えたことを雑記する。 思案 1 よくあるのは獄窓記としての発表、書籍化だろう。しかし、競合が多いうえに、当センターの快適話を書いても、不満話を書いても、叩かれるのが目に見えているではないか。早々に考えることを放棄した。 思案 2 やはり現実的な事柄であるに越したことはない。 昔に大阪刑務所の絨毯工場を取り上げた記事を見たことがある。そして、大阪刑務所に勤めていた職員が当センターにいることから、直接話を聞くことができた。 要約すると、刑期の長い受刑者が配役される工場で、無二の縫製技術を持っているとのこと。職人の後継者問題が深刻な現代において、塀の中という特殊な環境だからこそ、技術が風化せず

      受刑が生んだ雑文 – ミサキ

    • 刑務所体験記ー個人の刑務所考ー – 阿北斎

    • 私の大切な時間 – 阿北斎

    • 「お前は未だにシャバッケが抜けていないな」 新入期間を終え、それとなく日々の所内生活に順応しつつある昨今、世話になっている先輩受刑者から指摘頂いた一言である。シャバッケ。この東ヨーロッパの伝統料理みたいな風格を纏った新出単語を辞典で引いてみたところ、なるほど「娑婆+気」の造語であると理解した。娑婆―軍隊・牢獄など自由を束縛された世界に対して、そとの自由な世界のこと。則ち、入所して半年以上が経過してもなお、そとの自由な世界で養なってきた価値観を脱却できていないと認められる私を憂慮した先輩は、慈愛の精神をもって忠言を授けてくれたのだろう。その他意のなさに有難みを感じつつ、同時に皆目交じり気のない健やかさに、私は一抹の違和感を拭い去ることができていない。 国家が制定した遵守事項に違反しなければ、刑務所の中であっても、自由は存在すると思っていた。作業に真摯に取り組んで懲役の義務を果たしつつ、余暇時間には、自身の心の声に耳を傾けながら様々な趣味や勉学を通じ、社会復起のために各々が自己研鑽に励む。それこそが更生に向けた姿勢であると信じて歩み出した受刑生活だったが、目下、想定外の課題に見舞われてきた。 塵一つ目視できない箇所に対して再三繰り返される居室内清掃、一挙一動に付髄して反響する マナーという名の強迫的定型句、たぶん薄記三級より難易度が高い食事メニューの暗記暗唱……挙げ始

      シャバッケ – 蓮下 かえる

    • この秋で2年という月日を刑務所にて迎えることになる。いつの間にかそんなに日が経ったのかと思うより先に、過ぎて行った時の速さにゾッとするような怖さを覚える。果して何か一つでも自身のためになるような出来事は、自信を持って語れるそんな土産話はあるのだろうか。もう少しこれが出来るようになった!とか、成長したなと思える実感も・・・。 社会にいた頃はもっと出来る、伸びしろはまだまだと言っていたのに、いつの間にか・・・。なんだろ?自分の天井の近くさが見えたような感覚になる。前に進んでいると感じていたあの頃とは違い、一歩進んでは、又戻り、ずっと同じ所を行ったり来たりしているような、そんな気が ・・・ 凹んでしまいそう(笑)。こんなモヤモヤした感じ、わかる人も沢山いると?思うけどね。自分だけと思い込みすぎないように心がけて、落ち込まないようにと言い聞かせる。ここはここ、外は外、とらわれ過ぎないように。 こっちで得られないものは、外で、違う所で補えばいいじゃないって能天気に思ったりもしたり・・・ さて今回「私の大切な時間」といった内容で書かせてもらえる機会を与えて頂き、とても感謝します。 具体的に何を、と考えていて、「大切な時間」と

      私の大切な時間 – ジャック・クリスピン

    • 母は三十三歳で他界した。 癌だった。 そのときわたしは十歳だった。 わたしが思い出す母は、病床で痩せ細った母ではなく、わたしが幼い頃にベッドサイドで読み聞かせをしてくれた母である。 そのときの母のやさしい目や声を思い出す度に、今でも鼻の奥がつんとなり、目がじんじんとしてくる。 もう四十年近く経つというのに。 わたしの家はどこにでもある中流家庭の家だった。父は勤め人で、母は専業主婦、裕福ではなかったが貧しくもなかった。

      幸福な時間 – Andrew

    • 思い出  刑務所生活も七年目に突入した。ある日の昼下がり、 良く晴れた日だった。単独室の窓のむこう、鉄格子のそのまた向こう。刑務所特有の目隠しの鉄枠の上に一匹のスズメを見つけた。  あれは何齢の時だったか...?今は亡き、おばぁちゃんとの思い出。おばあちゃんに手を引かれて、自宅に帰っている道中のことだった。道路に一匹のスズメかった。そのスズメは血だらけで、息絶えていた。幼かった私は、その痛々しいスズメ

      思いで – カリン様

    • 私の大切な時間。私にとって大切な時間と言われて思い浮かぶことは3つ。 1つ目はホームレスの源さんとの出会いである。 10代後半の私がとある公園に行くと、ゴミ箱に頭を突っ込んでいる人がいたので私はその人に「何しとんの」と声を掛けました。 その人はいきなり自分の頭をおさえてうずくまり、大声で「やめてくれ」と言いました。そうこれが源さんと私の出会いのきっかけです。 私は源さんに「何もせんよ」、「どうしたん」と聞きました。 源さんは前に少年になぐられたりしたことがあり、またなぐられると思ったそうです。私はその後度々源さんとメシを食べたり、銭湯に連れて行った。服をあげたりしたり、食べ物やタバコ代のお金をあげたりしていました。源さんはよく言っていました。「生ゴミを食べてでも生きたい」、「ありがとう」と。  私は人を殺して刑務所にいます。 私は生きる大切さを誰よりも知っていたのに人を殺した大罪人です。 被害者の方も生きたかったはずです。私は源さんに「ありがとう」と言われた自分に戻りたいです。そんな私も後何年かしたら20年以上服役を終えて社会へ戻ります。それまでにあの頃の自分を取り戻す為に現在受刑生活を送っています。 2つ目は、子供の頃に近所にあった老夫婦が営むパン屋

      あの頃の光 – S-KATTO

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