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    PAC 刑務所アート 公式サイト

    Prison Arts Connections > ギャラリー > エッセイ

    ギャラリー

    •  私は、新聞やニュースでその事件に接すると悲しくなることがある。児童虐待や虐待死のことだ。少子高齢化の現在の日本、養護老人ホームの職員による虐待や虐待死、ママ友からの洗脳され餓死した男児やその他,様々な虐待死をみる、きくに付け、いたたまれなくなってくる。予防策はないのかと。 ハサミ虫は、飲ます食わずで、何か月も卵を守り続け、最後は自ら 進んで、その子達に喰われるという。(稲垣栄洋著/生きものの死にざま/草思社 文庫)、すざましいまでの自己犠牲だ。又同姉妹本には、母ゴリラは、父ゴリラに生後3年弱で子ゴリラを預け父ゴリラが教育、ゴリラ社会の規律と秩序を教え、夜になると、子ゴリラは、母ゴリラの元に戻り、生後4~6年位まで、愛情を注ぐという。どちらも慈愛に満ちたことである。が、どうして、人間だけが人を傷付け、殺したりするのだろう...。私らは進化の過程ですぐれた物を身に付けた反面、大事な何かを失くしていったのだろうか。  刑務所の中でも、そうである。看守らによる虐待が後を立たず。 中々、表面化しない。外部の者が、気付いていない、知らない。いり豆に花が咲いて、日常茶飯時的に、受刑者いじめや、虐待をする看守が多くいる中、社会から隠された現場の当時者だけしか知らない事実を、顕在化し、刑事施設の透明性を推進し適正な管理運営を図ることや、受刑者の人権尊重の基本理念を明確にしなければいけないと強く思っている。無力な者や受刑

      ある受刑者の嘆き ~心の叫び~ – 阿北斎

    • 人間誰しも自分の身に関わることや、自身も恩恵にあずかることには一生懸命になれるが、自分の身に及ばないことには頑張れないどころか、関心すら持たない。 かく言う自己中心・利己心の塊の私も、何んと情ない人間なのかと反省することばかりである。 周りと衝突せず、誰も傷つけず、傷つけられず、怒りも焦りも不安も持たず、心穏やかにすごしたいものだが... そう願いつつも一寸のことで感情的になる私。 何が心乱すのか?苛ついた理由をメモって可視化する。作業や運動、勉学に没頭する。 心を鎮める言葉を持つ様にするのだが、なかなか上手くいかないものである。 そして人間、何か窮地に陥ったとき、最後に頼りに成るのは、それまでの信用でも実績でもない。 人間性がいいとか悪いとかという問題でもない。 最終的にはその本人から滲み出す愛嬌の様なものに人は手を差し伸べるものなのだ。 ひと昔は貸し借りの棚から、いやいや手を差し伸べる場面も多々あったであろうが『かけた情は忘れても受けた恩義は忘れるな』とか『花八分咲き、人は控えめが美しい』等と言った古めかしい格好をつけた生き方をしていては時代にとり残されてしまうだろう。 一刻一刻、時代の流れは急激で、場面は様々変化する。その変化を見極め、その変化に合わせて人間もが変化しないと時代遅れの人間で終わってしまう。 要領よく立ち振る舞うことが出来て、或る意味ではずる賢こく生きて行くのも大事かもしれない。 持って生れた性格を根本的に変えることは出来ないだろうが、時代の変化について行ける位の人間に変えることは可能であろう。 現在与えられている大切な時間を、今らしく生きれる様に精進したいものである。

      人間の変化 – 夢幻

    • 与えられた時間 – らんぱぱ

    • 私は マザーハウスの 活動や その他多くの人たちのやさしさに励まされ、どん底から立ち上がった一人の受刑者です。今回の刑務所アート展の通知を見て、正直あまり乗り気ではなかったのですが、募集テーマを目にして俄然やる気が湧いて来ました。 なぜなら、今、私が最も感じ考えている事だからです。 刑務所という特殊な環境の中で、様々な理不尽と戦いながら、無常や無念を感じる日日。そんな中で コロナや戦争が あらゆる場面で影響を及ぼし、否応なしに私たちの生活にも襲い掛かって来ます。 だからこそ、時間の大切さを感じるのかもしれません。エッセイと言われると何か難しく感じてしまいますが、今の私が考えている事を素直にまとめてみたいと思います。 よく刑務所の職員は「時間だけは平等なのだから無駄にしないよう...」と口にします。 そして その認識は一部の受刑者にも伝播しています。 もちろん私も過去に何度か聞いていますし当然のごとく理解したつもりになっていました。だけど、最近になって思います。「時間は本当に平等なのか?」と...。 確かに流れる時の経過が同じなのは 地球上に生きる限り 不変の事実です。 だけど使い方によって、同じ時間にも差が生じます。 又、環境や状況によっても雲泥の差になります。 そう考えたら、

      私の叫び – アフロ犬

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