私の大切な時間 – 阿北斎

作品タイトル

私の大切な時間

作者

阿北斎

作品本文

「あなたは大切な人とどんな時間過ごしていますか?」
私が岐阜刑務所に務め、14年経とうとしている。この時間私は『ロスタイム』と思う。あの時、間違いを起こさなかったら、一体どんな人生が待っていただろう・・・。
私にとって貴重な時間、それは、約20年前のある一人の女性との出会いだった。この出会いが後に私の運命を狂わす・・・・・・でもなく、かといって幸せにするわけもなく、同じ時間交差し同じ時間を過ごした平凡な日常の毎日の繰り返しの日々の始まりであった。
その子は、歌手のシェラに似て地元では『姫』というアダ名ですぐにキャバ嬢No1に昇り詰めたほどの器量の持ち主で、がさつ者で見栄っぱりの上ええかっこしいの私とは雲泥の差があったのだが、二人でいるとお似合いのカップルと良く言われたものだ。その時、その子は十代後半であったのだが・・・。
当時、私は二十代前半で『パックン大王』とアダ名され、”触れるもの皆腹ませた”と言われる位、手あたり次第ナンパ等して遊んでいたのであるが、この子と出会い付き合ってからからは一切それがなくなりいつも二人一緒であった。
しかし、犯罪でもそうだが慣れというのは恐いもので、いつも一緒にいるとそこにいて当たり前で日常の一部と化し周りが見えず一番大切で大事な何かを見失ってしまう。
私も、つい出来心で浮きをしてしまった。しかも2回しただけで浮気相手が妊娠・・・俺、絶句。
しばらくは平穏無事だったが、”悪事千里を走る”とは良くいったもので、ついにその子にもそのことがバレ・・・破局。しかも、しかもである。私の目の前で客と腕を組んで夜の町に消えていくではないか・・・俺、絶叫。私の目に涙。彼女の目に怒り。客の目はにやけ。
この時ほど後悔したことはない。いかに何気ない日常が幸せで近くにいる隣りにいる人が大切か。
もっと大切に大事にして上げていたら、もっと一緒に遊びにいったら、おいしいものを食べに連れて行ってたら・・・・・・・・・・・・と、悔やんでも悔やみきれずにいたが、今となればまたそれも私の貴重な思い出である。
20年は十万時間という。この膨大な時間 過ぎ去った時間は戻らない。
「短かき人生は時間の浪費によって一層短かくなる」とは、サミエル・ジョンソンの言葉だ。ムショに入っているこの時間ほど無駄なものもない。彼女のことを胸に今日も残刑を務めている。
「ロストタイム カムバック!?」又、「汚染水より受刑者放出を!?」

作品ジャンル

エッセイ

展示年

2024

応募部門

課題作品部門

作品説明

下書きかなり省略し、まとめたが、要は側にいる人との時間が大事、大切で、ムショの中に入っている時間は無駄といいたい。また、つい忘れてしまいがちな何気ない日常が大事ということを伝えたかった。

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