著者、城山三郎『打たれ強く生きる』の作品について – セイジ・Y

文士である城山三郎氏が堂々たる人生を行きぬいた、先人の賢者たちから聞いた有益な助言、説きおこす名言。時代を見通す眼をつくり、焦らず、大事を成した男たちの人生を描き追究した著者の作品は、「城山三郎」というフィルターを通して分かりやすく、今の私達に教材として得る名文を編み出した。経済小説というジャンルの中で城山氏は、定型に囚われまいと心に決めて作品を書き続けてきたのだろう。そのためには、何よりも丹念な取材であり、そして取材を続ければ続ける程に人間という存在の多面性が見えてくる。長所もあれば短所もあり、好きな所嫌いな所、まだら模様に混じり合っているなかで、城山氏の描く男達は、様様な光を放ち隠し味があり苦みがあり、一筋縄ではゆかない。又、経済が分かるというのは大変な強みである。だが、それだけでは、経済小説は書けない。必要なのはビジネスマンへの愛情でもあり、感情がどの様に揺れ動くのかの洞察力なのである。逆説的に伝えれば、城山氏は商大(現在の一ツ橋大)を出ながらビジネス界には入らなかった。そのため、かえって強烈、澄明な愛情を持ち続けているのではあるまいか。 作家と文士という職業は、多かれ少なかれ作品の中に自己を投影するものであるが、城山氏の場合は特に濃厚な気がする。キザな言い方、表現を持ち出せば「見果てぬ夢」を謳(お)い続けているのであろう。これが、一度でもタイムカードの経験を持つと、ビジネスマンに対する姿勢、見解は全く違ってもくる。戦争、高度成長、大学紛争―いつの時代、どう生きても過酷な運命は降りかかる。激しい感情を抑え進む名も無き人々や、賢者たちの心に染みる会話や考えさせる文章が数多くの作品の中に含まれており、強く言えば気概、優しく言えば男のロマン。そこに入生の美しさが見える。「人間的魅力」で、人を感動させ奮い立たせる事が出来るのが、真の指導者であり退屈な善人に魅力はない。出来ると思われるビジネスの心得があり、一つの言葉を繰り返し口にする時、それはやがて信念となり行動に表われる。ちょっとした工夫によって小さな仕事にも新鮮な輝きが加わる。伸びる男は、自分から仕事を作り出していく。いかなる逆境にも挫けず、その中で自己鍛練を怠らなかった男達の剛毅な生き方を辿り、現代人に勇気と指針を与える人物随想でもある。わたしが、心に得た大道の一(ひとつ)をここに記しておく。そして城山三郎氏に共感する何かに気づく得るものが見つかるきっかけになってほしいと願う。城山氏は、大好きなビジネスマンのために『打たれ強く生きる』というエッセイ集を書いた。昭和58年5月から年末まで「日本流通新聞」に連載されたものである。連載中に若い知人が「人生のステップ」と題した城山氏の随筆分を読んでいると、「まるで砂漠の中でオアシスに出会った気になり、この欄は、心を落ちつけて読まなければと思い、坐りなおします」「毎日、心が洗われる思いになりました」と言った。城山文学は、何万人ものビジネスマンの心を掴んでいる様に思える。エッセイ集にある11種のジャンルから抜粋した「大きな耳」は、山種証券創設者である山崎種三氏、花王石鹸社長の丸田芳郎氏他、錚錚(そうそう)たる人達の話である。そして、如何に情報が重要なのかを追求したテーマともなっている《熊さんの悟(レオナルド熊)》熊さんは、こんな風に言っていた。「自分は熊でさえない。無だ、土だ、アリ一匹だ、と思った。」と。自分自身をその程度の者だと割り切れば、もはや高望みもないし、また、たいていの状態に耐えられる。いつ、ひねりつぶされ、ふみつぶされても、文句ひとつ言わない「アリ」。その「アリ」でしかないと思えば、ぐちもでないし、また、何かに絶望するということもない。「愛」については、どう考えるのか。「アリの立場」からすれば、「愛は、もらったり奪ったりするものではない。与えるものだ。」との悟りが出てくる。又、十年間、行方知れずの妻について熊さんは、今だに除籍していない。「戻る気があれば、いつでも」と言う。最近、若い愛人ができたが、この先、どうするかは相手の気持ちしだい。「自分には、決める権利はない」と言う。自分は「無」であり、「土」でしかない。だから、「俺が」「俺が」とは言わない。全ては、「運命」に任せる、と言って、絶望しているのとは違う。「報償をもらわない生き方」に徹している、とでもいうのか。『打たれ強く生きる』の作品の一部を記したが、私が感じたことは、『打たれ傷ついた身が、健康人と同じ事が出来るはずがない。傷ついた男には傷ついた身に相当した生き方、生きて行く工夫がある。無闇に足掻(あが)き嘆くのではなく、頭を切り変え、今の身で出来る最良の生き方を考える事である。』著者、城山三郎氏は、この作品の中に、「私は、自分を文士というより、文弱の徒と思っている。士魂など何処にもない。打たれ強い所か、一発うたれたら参ってしまいそうな気がする。人生のエレベーターが、急な働きをしたら、とたんに尻餅をつき、気を失いそうである。そして、ただただ奇跡的な救いを祈るだけになりかねない。だから、打たれ強さの秘密を、人一倍、知りたいと思ってきた。」「人間に裏の裏の裏があるように、人生にも逆転また逆転がある。そのために、心ならずも人生を深く生きる事になるかも知れぬが、だが、それでこそ生きた甲斐があったと言うことにもなろう」と。「かもめのジョナさん」の著者、リチャード・バックの言葉がある。「たいへんだったが、しかし、すばらしかったといえる人生を送りたい。」物書きである文士、城山氏の残した言葉は、知る人にとっては、その存在感は歳月が経っても褪(あ)せることがない。

作品タイトル

著者、城山三郎『打たれ強く生きる』の作品について

作者

セイジ・Y

作品本文

文士である城山三郎氏が堂々たる人生を行きぬいた、先人の賢者たちから聞いた有益な助言、説きおこす名言。時代を見通す眼をつくり、焦らず、大事を成した男たちの人生を描き追究した著者の作品は、「城山三郎」というフィルターを通して分かりやすく、今の私達に教材として得る名文を編み出した。経済小説というジャンルの中で城山氏は、定型に囚われまいと心に決めて作品を書き続けてきたのだろう。そのためには、何よりも丹念な取材であり、そして取材を続ければ続ける程に人間という存在の多面性が見えてくる。長所もあれば短所もあり、好きな所嫌いな所、まだら模様に混じり合っているなかで、城山氏の描く男達は、様様な光を放ち隠し味があり苦みがあり、一筋縄ではゆかない。又、経済が分かるというのは大変な強みである。だが、それだけでは、経済小説は書けない。必要なのはビジネスマンへの愛情でもあり、感情がどの様に揺れ動くのかの洞察力なのである。逆説的に伝えれば、城山氏は商大(現在の一ツ橋大)を出ながらビジネス界には入らなかった。そのため、かえって強烈、澄明な愛情を持ち続けているのではあるまいか。 作家と文士という職業は、多かれ少なかれ作品の中に自己を投影するものであるが、城山氏の場合は特に濃厚な気がする。キザな言い方、表現を持ち出せば「見果てぬ夢」を謳(お)い続けているのであろう。これが、一度でもタイムカードの経験を持つと、ビジネスマンに対する姿勢、見解は全く違ってもくる。戦争、高度成長、大学紛争―いつの時代、どう生きても過酷な運命は降りかかる。激しい感情を抑え進む名も無き人々や、賢者たちの心に染みる会話や考えさせる文章が数多くの作品の中に含まれており、強く言えば気概、優しく言えば男のロマン。そこに入生の美しさが見える。「人間的魅力」で、人を感動させ奮い立たせる事が出来るのが、真の指導者であり退屈な善人に魅力はない。出来ると思われるビジネスの心得があり、一つの言葉を繰り返し口にする時、それはやがて信念となり行動に表われる。ちょっとした工夫によって小さな仕事にも新鮮な輝きが加わる。伸びる男は、自分から仕事を作り出していく。いかなる逆境にも挫けず、その中で自己鍛練を怠らなかった男達の剛毅な生き方を辿り、現代人に勇気と指針を与える人物随想でもある。わたしが、心に得た大道の一(ひとつ)をここに記しておく。そして城山三郎氏に共感する何かに気づく得るものが見つかるきっかけになってほしいと願う。城山氏は、大好きなビジネスマンのために『打たれ強く生きる』というエッセイ集を書いた。昭和58年5月から年末まで「日本流通新聞」に連載されたものである。連載中に若い知人が「人生のステップ」と題した城山氏の随筆分を読んでいると、「まるで砂漠の中でオアシスに出会った気になり、この欄は、心を落ちつけて読まなければと思い、坐りなおします」「毎日、心が洗われる思いになりました」と言った。城山文学は、何万人ものビジネスマンの心を掴んでいる様に思える。エッセイ集にある11種のジャンルから抜粋した「大きな耳」は、山種証券創設者である山崎種三氏、花王石鹸社長の丸田芳郎氏他、錚錚(そうそう)たる人達の話である。そして、如何に情報が重要なのかを追求したテーマともなっている《熊さんの悟(レオナルド熊)》熊さんは、こんな風に言っていた。「自分は熊でさえない。無だ、土だ、アリ一匹だ、と思った。」と。自分自身をその程度の者だと割り切れば、もはや高望みもないし、また、たいていの状態に耐えられる。いつ、ひねりつぶされ、ふみつぶされても、文句ひとつ言わない「アリ」。その「アリ」でしかないと思えば、ぐちもでないし、また、何かに絶望するということもない。「愛」については、どう考えるのか。「アリの立場」からすれば、「愛は、もらったり奪ったりするものではない。与えるものだ。」との悟りが出てくる。又、十年間、行方知れずの妻について熊さんは、今だに除籍していない。「戻る気があれば、いつでも」と言う。最近、若い愛人ができたが、この先、どうするかは相手の気持ちしだい。「自分には、決める権利はない」と言う。自分は「無」であり、「土」でしかない。だから、「俺が」「俺が」とは言わない。全ては、「運命」に任せる、と言って、絶望しているのとは違う。「報償をもらわない生き方」に徹している、とでもいうのか。『打たれ強く生きる』の作品の一部を記したが、私が感じたことは、『打たれ傷ついた身が、健康人と同じ事が出来るはずがない。傷ついた男には傷ついた身に相当した生き方、生きて行く工夫がある。無闇に足掻(あが)き嘆くのではなく、頭を切り変え、今の身で出来る最良の生き方を考える事である。』著者、城山三郎氏は、この作品の中に、「私は、自分を文士というより、文弱の徒と思っている。士魂など何処にもない。打たれ強い所か、一発うたれたら参ってしまいそうな気がする。人生のエレベーターが、急な働きをしたら、とたんに尻餅をつき、気を失いそうである。そして、ただただ奇跡的な救いを祈るだけになりかねない。だから、打たれ強さの秘密を、人一倍、知りたいと思ってきた。」「人間に裏の裏の裏があるように、人生にも逆転また逆転がある。そのために、心ならずも人生を深く生きる事になるかも知れぬが、だが、それでこそ生きた甲斐があったと言うことにもなろう」と。「かもめのジョナさん」の著者、リチャード・バックの言葉がある。「たいへんだったが、しかし、すばらしかったといえる人生を送りたい。」物書きである文士、城山氏の残した言葉は、知る人にとっては、その存在感は歳月が経っても褪(あ)せることがない。

作品ジャンル

その他

展示年

2023

応募部門

自由作品部門

作品説明

僕は『打たれ強く生きる』の作品にとても感動しました。勇気がもらえ光が見えてくるエッセイ集の良さを他者に伝えたく、表現内容をどの様にまとめるべきか何度も作り直しては考える、という作業が大変でした。本当は、×3倍以上の原稿量なのですが、短かくすることによって読みやすく、少しでも「打たれ強く生きる」に、興味をもって頂けるように表現をしたかった。何かのきっかけになれば幸いです。

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