無期受刑者の挑戦-荒野雄光

求めなさい。そうすれば与えられる。  探しなさい。そうすれば見つかる。  門をたたきなさい。そうすれば開かれる。  誰でも、求める者は受け、探す者は見つけ、  門をたたく者には開かれる。       マタイによる福音書  私は中学校時代から学校と勉強が嫌いだったのですが、どうにかお情けで中学校を卒業すると、ひとりで上京して善悪の区別もできな15歳の子供が大人ぶって好き勝手に遊び呆け、17歳の夏に大罪を犯してしまったのです。  そして、18歳の少年で15年の確定判決を受けた時に「私の人生は終った」と思いました。  時は過ぎ去り、3度目の懲役で無期懲役 になって〇〇のLB刑務所に服役し、39歳から50歳までは無事故で務めましたが、母が病気で亡くなって天涯孤独になり、身元引受人も無く獄死を覚悟したのです。どうでも良くなり自分の好き嫌いが態度に出て職員さんと

何度かもめたり規則違反をして懲罰を受けたり工場を替えられたりして目標もなく生かされておりましたが、65歳の時に10年以上に渡って文 通をさせて頂いていたシスターから癌の告知があったことを告げられ、私はシスターの体調を心配することしか出来ない自分を情なく感じていました。  シスターはその後も相変らず明るい手紙をくださって、私のことを励まし勇気づけてくださっていましたが、半年後の12月8日に天に召されたことを知らされました。シスターが亡くなる前に私へのクリスマスプレゼントとして用意されていた小冊子(希望の光・ クリスマス)を院長シスターから届けられた時に、私はもう一度学び直し生き直すことを決意したのです。◯◯中学校桐分校への募集に応募したのですが却下されたので、私の本気度を理解して頂くために通信教育のボールペン字を受講し、めでたく優秀卒業証を頂いて次の年に再度桐分校へ応募して2度目に入学許可となりました。〇〇中学校〇〇へは2021年4月に入学して、2022年3月に無事卒業しました。 そしてその年度から〇〇高校通信制がおおむね

40歳としていた年齢制限がなくなって誰にもチャンスが広がったので私も応募して〇〇高校通信制への入学が許可されたのです。  2022年4月 〇〇高校通信制に入学。  2023年4月 2年生に進級  2024年4月 3年生に進級  私の同級生は、60代1人、50代1人、40代 1人、30代2人、20代1人の6人です。  私は1番年長なので、同級生のじゃまにならないよう離されないようについて行くのに大変でしたが、同級生の協力とおもいやりや引っぱって頂きながら何とかここまで来られました。  〇〇中学校では毎日1ページの日記を書くのが義務づけられていて、〇〇校の担任先生が必ずコメントを書いて返してくださるので、初めは書くのが嫌でしたが次第に楽しくなり、何でも書けるようになって1年間続けられました。  〇〇校での1年間は驚きと発見の連続で、今までの考え方や価値感が根本的に変わり、自分中心から相手優先に考えるようになったことで、周囲も見えるようになり、授業中の先生の佇まい

や言葉使い、立ち居振るまい、人との接し方にも学べることが数多くありました。  「無期受刑者に未来はあるか」  私は学び直しと生き直しを決意してから人生の生活設計を立てました。  無期囚となった39歳から自己反省と改心更生の日々を顧みると、獄中生活の中にも自分次第で良くも悪くもなるのだと思いましたので、全てに対して感謝の心を持って素直な気持ちで自分を磨き、人格を高められるよう努力することによって助けてくれたり応援してくれる人物が現われ、善い方向へと進んで行くことが出来ると思っていますので、心機一転心新たに頑張りたいと考え、まずは中学と高校の授業で一般の知識や常識を学び、人としての守るべき道と物事の善悪を考え、正しい 行動が出来るよう努力したいと思います。  「刑務所の中からのお願い」  中学校での1年間の日記を読んでほしいです。そして出来るなら本にしたいと考えています。15歳から70歳の高校卒業までから、希望的に言えば仮釈放後の生活状況まで丸ごと伝えられると幸いです。

作品タイトル

無期受刑者の挑戦

作者

荒野雄光

作品本文

求めなさい。そうすれば与えられる。
探しなさい。そうすれば見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば開かれる。
誰でも、求める者は受け、探す者は見つけ、
門をたたく者には開かれる。
マタイによる福音書

私は中学校時代から学校と勉強が嫌いだったのですが、どうにかお情けで中学校を卒業すると、ひとりで上京して善悪の区別もできな15歳の子供が大人ぶって好き勝手に遊び呆け、17歳の夏に大罪を犯してしまったのです。
そして、18歳の少年で15年の確定判決を受けた時に「私の人生は終った」と思いました。
時は過ぎ去り、3度目の懲役で無期懲役 になって〇〇のLB刑務所に服役し、39歳から50歳までは無事故で務めましたが、母が病気で亡くなって天涯孤独になり、身元引受人も無く獄死を覚悟したのです。どうでも良くなり自分の好き嫌いが態度に出て職員さんと何度かもめたり規則違反をして懲罰を受けたり工場を替えられたりして目標もなく生かされておりましたが、65歳の時に10年以上に渡って文 通をさせて頂いていたシスターから癌の告知があったことを告げられ、私はシスターの体調を心配することしか出来ない自分を情なく感じていました。
シスターはその後も相変らず明るい手紙をくださって、私のことを励まし勇気づけてくださっていましたが、半年後の12月8日に天に召されたことを知らされました。シスターが亡くなる前に私へのクリスマスプレゼントとして用意されていた小冊子(希望の光・ クリスマス)を院長シスターから届けられた時に、私はもう一度学び直し生き直すことを決意したのです。◯◯中学校桐分校への募集に応募したのですが却下されたので、私の本気度を理解して頂くために通信教育のボールペン字を受講し、めでたく優秀卒業証を頂いて次の年に再度桐分校へ応募して2度目に入学許可となりました。〇〇中学校〇〇へは2021年4月に入学して、2022年3月に無事卒業しました。 そしてその年度から〇〇高校通信制がおおむね40歳としていた年齢制限がなくなって誰にもチャンスが広がったので私も応募して〇〇高校通信制への入学が許可されたのです。
2022年4月 〇〇高校通信制に入学。
2023年4月 2年生に進級
2024年4月 3年生に進級
私の同級生は、60代1人、50代1人、40代 1人、30代2人、20代1人の6人です。
私は1番年長なので、同級生のじゃまにならないよう離されないようについて行くのに大変でしたが、同級生の協力とおもいやりや引っぱって頂きながら何とかここまで来られました。
〇〇中学校では毎日1ページの日記を書くのが義務づけられていて、〇〇校の担任先生が必ずコメントを書いて返してくださるので、初めは書くのが嫌でしたが次第に楽しくなり、何でも書けるようになって1年間続けられました。
〇〇校での1年間は驚きと発見の連続で、今までの考え方や価値感が根本的に変わり、自分中心から相手優先に考えるようになったことで、周囲も見えるようになり、授業中の先生の佇まいや言葉使い、立ち居振るまい、人との接し方にも学べることが数多くありました。
「無期受刑者に未来はあるか」
私は学び直しと生き直しを決意してから人生の生活設計を立てました。
無期囚となった39歳から自己反省と改心更生の日々を顧みると、獄中生活の中にも自分次第で良くも悪くもなるのだと思いましたので、全てに対して感謝の心を持って素直な気持ちで自分を磨き、人格を高められるよう努力することによって助けてくれたり応援してくれる人物が現われ、善い方向へと進んで行くことが出来ると思っていますので、心機一転心新たに頑張りたいと考え、まずは中学と高校の授業で一般の知識や常識を学び、人としての守るべき道と物事の善悪を考え、正しい 行動が出来るよう努力したいと思います。

「刑務所の中からのお願い」
中学校での1年間の日記を読んでほしいです。そして出来るなら本にしたいと考えています。15歳から70歳の高校卒業までから、希望的に言えば仮釈放後の生活状況まで丸ごと伝えられると幸いです。

作品ジャンル

お願い

展示年

2025

応募部門

テーマ部門②「お願い」

作品説明

私は無期受刑者で39歳から〇〇のLB刑務所に服役して31年目に入っていますが、私のお願いは刑務所生活の私の心の変遷や無期囚の現状などを社会の方々に知って頂きたいと考えておりますので、お力添えをお願いいたします。

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