8月6日に、公開会議「刑務所でできる文化的暮らしを考える」を開催しました。
参加してくださったのは、マザーハウスのスタッフ(元受刑者の当事者)が6名、他の参加者が9名でした。
ゲストに招いたのは、アーティストの富塚絵美さん、パフォーマーの大西健太郎さんです。
前回の会議では、刑務所で表現活動ができる時間は、主に「余暇時間」だということでした。今回の会議では、刑務所で表現活動をするうえで、刑務所で使える文具や物品にはどのようなものがあるのか、それらを使ってどんなことができるのかを考えました。
刑務所で所持できるものって何がある?
会場には、実際に刑務所で所持できるとされている物品、例えばボールペンやノート、絵画道具や書道道具などを並べました。
これらの物品を「誰でも使えるもの」、「許可されれば使えるもの」、「使えないもの」に参加者とともに分類していきました。
以下が、分類してみた結果です(元受刑者当事者の体験をもとに分類したものです)。
「誰でも使えるもの」の例:雑記帳、便箋、筆入れ、シャープペン、ボールペン(黒、赤、青の3色)、消しゴム、フェイスタオル、ハンカチ(だいたい青)、ちり紙、ヘアゴム(女子のみ)
「許可されれば使えるもの」の例:蛍光ペン(学習のためであれば許可される)、絵画道具(絵の具、絵筆、パレットなど)、書道道具(半紙、筆、墨汁、硯など)、色紙、カーボン紙(書類作成のため)、付箋
「使えないもの」:色鉛筆、クレヨン、バスタオル、白紙の自由帳、ボックスティッシュ、ヘアピン
「許可されれば使えるもの」が多いですね。また、使用が許可されても、その使用方法までこまかく指定されていることに、参加者と驚きを共有しました。指定された使用方法でなければ、物品の不正使用ということで、懲罰の対象となってしまうそうです。例えば、便箋に手紙以外のことを買いて保管していたら怒られた経験があったというお話もありました。
刑務所で所持できる物品を工夫して表現に使うというのは難しそうです。
そして、許可されている物品が高価であるという問題も指摘されました。かつては、ティッシュが一袋500円を超えるのは高いということで、裁判となった例もありました。
※「ティッシュ1袋が594円 刑務所の日用品「高すぎ」」(朝日新聞、2019.4.3)
自分が使うものに個性を出しちゃダメ?何のための規則なのか…
大西さん「自分が使っているノートの表紙に好きな模様を描いたりとかできないんですか?」
五十嵐さん「できないですね。」
大西さん「自分の持っているものを、自分の色やにおいで汚してみたくなるじゃないですか。だけど、自分の個性や気配を出してはいけない。それは、規則を与える側にはどんな意図があるんでしょうか。」
五十嵐さん「全員と同じことをさせるということが、集団を管理するうえで楽なんだと思います。個性や個人を出されてしまうと面倒だと。それでも、受刑者の中にはおかしいと思うことに訴えを起こす人もいます。」
大西さん「刑務所にとっては、規則を守ることが社会更生につながるものと理解されているんですかね。」
参加者「学校も同じですよね。ブラック校則と呼ばれるものの中には、下着の色は白だとか、ツーブロックはダメだとか、ほとんど根拠もない人権侵害のレベルのおかしな規則がありますよね。それを変えていく動きが今ある中で、刑務所も同じように変えていくことができないかと考えてしまいます。」
刑務所でできる文化的な暮らしって?
富塚さん「使用用途を外れて物品を使用してはいけないことが、かなり厳しいことを知りました。アートや表現は、そうした規則からいかに外れていくかを評価するような領域でもあり、そうした大学で学んできたので。改善できるところは、もっと改善されていってほしいなと思いました。」
大西さん「物品の細かな使用のルールとか、その他にも刑務所の中のいろんな制限がある時に、でも人間ってそうした枠に当てはまらないことだらけのはずですよね。それを、規則違反ってされてしまうと難しいですよね。逆に、ルールを自分でつくって遊んでみるということはできるだろうかとも考えました。例えば、このノートは5文字しか書かないルールで日記をつけてみるとか。どんな5文字で表現するかとか研究もできそうな。」
五十嵐さん「自分はどんな理由を伝えたら許可してもらえるだろうかと、そういうことに頭を使っていた服役生活でした。まずは自分のしたいことの許可を願い出てみると。聖書を読ませてほしいとか、黙想の時間を作りたいとか。そしてどういう理由で断られるのか、それを聞いて次は別の理由を考えてみる、その闘いですよね。刑務官は刑務官で、どんな理由で不許可にするかを考えているわけですから。それはちょっと面白かったです(笑)。
だいたいのルールは意味のないことだらけなんですよね。私にとっては、言われたことをただ守っているだけでは、更生につながるものは見えてこないんです。変わりたいって思いがあって、そのために必要なことがわかったら、規則がどうだろうと、そのためにチャレンジすることですよね。」
風間「刑務所の中では、個性を出せるところってないんですか?服の着こなしなのか、髪型なのか、どこかに自分らしさを出せる隙はあるんですか?」
五十嵐さん「それは本人次第で、刑務官に何を言われようが貫くことですよね。自分にとってはそれがキリストでした。刑務官からも『キリスト馬鹿』だと言われてましたから。でも、これが自分の更生には必要なんだということを説明して言い続けていたら、何も言われなくなりました。
刑務所は何でもダメだと言われ続ける環境なので、そこに慣れてしまうと何もできなくなりますけど、言い続ければいいんだと思います。ちゃんと説明をしたら聞いてくれる、わかってくれる刑務官もいると思います。そこで一つ前例ができると、できることが広がっていくと思います。」
富塚さん「五十嵐さんは、おそらく刑務所の中でもアーティスティックな存在だったんだと思います。私たちアーティストは、社会の中で誰にも必要とされていないかもしれないことを強引にやっていく技術を育むことをある程度鍛えられています。でも、ほとんどの人ってそうした『やりたいこと』、刑務官に刃向かってでもやりたいことが見つからない人がほとんどなのではないかと思っています。
本当にやりたいことがあって、そのためにルールと闘っていける人は強いですが、やりたいこともわからないままに『文化的な暮らし』って何だろうかと考えていました。わかりやすく絵を描いたり見たりしたところで『文化的」かと言われると、そうじゃないこともあります。まわりから『文化的」に見えているだろうか、アートをわかっている人だと認めてもらえるだろうかと気にしているだけだったり。
刑務所の外で生きていても、いったい何をしていることが生きていることなのか、生きている心地がするものは何なのかわからなくなることがあります。まわりを見れば、いろんな欲望をもって、自分のことだけを考えて楽しそうに生きている人がいて、時にそうした人に振り回されて疲れたり(笑)。
そうした時、刑務所のようにいろんな人や情報から切断されている環境ってもしかしたら貴重なのかもしれなくて、そういう時間も必要だと思うんです。一人だけでも充実してやるぞって思いがあったら、懲罰中の座っている時間も心を落ち着ける方法を見つけられたら文化的な時間にできるかもしれない。文化的な暮らしって、人それぞれに違う過ごし方や条件があるので、何があればいいのか、改めて難しい問題だと思いました。」
大西さん「刑務所の中のことを間近に聞くことができ、とても勉強になりました。自分のしたいことを持っていて、わかっていて、言葉にできる人は大丈夫だと思うのですが、はたして人って自分のしたいことを常に言えるだろうかということを、自分も含めて問いかけていました。
今回みなさんから聞いたような厳しいルールや環境の中で、自分のしたいことを要求することを忘れちゃうっていうのが、一番怖いと思いました。忘れてしまうというか、わからなくなってしまうことも含めて。だんだん自分の中にある欲求や、自分自身を失っていくことを想像して恐ろしくなりました。」
富塚さん「今日は、文化的な時間って何だろうということをずっと考えていました。五十嵐さんが言っている『一人の人間として見てほしい』というのは、大きなポイントだと思いました。一人の人間として眼差しを向け合える時間自体がアートの時間になっていくといいなと思いました。何かをつくるとか表現するとか以前に、そうした時間が文化的な時間につながっていくと思いました。」
参加者から
「自分らしく生きることと、社会の中でうまく生きていくことのバランスがどうなっているか、今の自分が本当に自分の望む生き方なのかなぁと、考えさせられました。」
「当事者のイベントで、アートの分野の人と関わる経験があまりなくて、どんなイベントかわからないままに楽しそうだったので参加したのですが、アーティストの人って何がいいかというと、自分ひとりで何かをやってそれが楽しいみたいな過ごし方ができるんですよね。自分にはそれが無いなと思って。カトリックの信徒でもあり、お祈りなどもして心の平穏は得ているんですけど、最近はそれだけじゃ足りないなって思ったりしてて。
刑務所の人たちもそうですが、社会で相手にされずに落ち込んでも、自分一人で自分の機嫌がとれるような何かがあると、他の犯罪にいかないような気がして、今日のようなこういう企画はすごく重要だと感じました。みんな自分のやりたいことを見つけましょう。」(会場拍手)
「文化的ってなんだっけ?ということを改めて考えました。刑務所のルールがこまかく、がんじがらめであることもよくわかり、でもそれって学校と変わらないなとも思いました。学校にしろ、刑務所にしろ、根本的に日本ってあまりクリエイティブな社会じゃないよなと思っていたのですが、他の人ともそんな考えを共有して、自分が考えていたことがそんなにズレていなかったんだなって思いました。」
「刑務所の中ってやっぱ理不尽で、これくらいはいいんじゃないか?って思うことが認められなかったりします。そういうことが、少しずつでも認められていくような、そんなムーブメントにこのプロジェクトが動いていけたらいいなと思いました。」
「自分にとって刑務所は我慢でした。刑務所のなかで理不尽なことをたくさん経験しましたが、我慢をして過ごし、一度も懲罰にはなりませんでした。その中で優遇区分が上がり、できることが増えたりもしました。刑務所の中の文化的な暮らしというよりも、刑務所の外で暮らしていれば、自分の食べたい時に食べたいものが食べれて、行きたいところに行けて、寝たい時に寝ることができて、そういう普通の暮らし、自由がある暮らしがあります。そして、その自由には責任も伴いますし、社会にも当然ルールがあります。刑務所の中でも外でも、それを守りながら文化的な暮らしはしていけるんじゃないかと思いました。」
「正直、刑務所で文化的な暮らしって100%無理だと思うんですね。なぜかっていうと、みんなそれを求めていないし、刑務官自身も文化的じゃないですしね。刑務官も刑務所に閉じ込められている人たちで、非社会的な考え方を持っていたりして。海外では音楽やダンスがやれて、なぜ日本はできないのかという話もありましたが、日本は、所長権限でできることがあるので、所長を説得できたらいろんなことができると思います。」
「人間として尊厳が損なわれている状況というのが、更生につながるのかということが気になりました。いろんなルールが理不尽であることは十分よくわかりましたが、これから先、それをどう良くしていこうかと考えた時に、これが更生に必要なんだということを訴えていく必要があると思いました。」
(おわり)