作品タイトル
年越し懲罰
作者
菊の果実
作品本文
その日も真面目に作業をしていた。工場内において綿花を使った造花を作っていためだ。それにも拘らずなぜ年末年始に懲罰を受けているのか、受罰姿勢のまま振り返ってみよう。
<12月末日AM11:20>
午前の作業も残りわずかだというのに悪に尿意に襲われ、作業の手を止め右手を挙げた。工場担当が 休憩中のため交替職員が私を指名した。受刑者にも敬称をつけるところが時代を感じさせる。
「用便を願います。」用件を伝え許可を得たうえで席を立ち、トイレに向う途中で職員から「帽子」と声を掛けられた。意味が分からず振り返って「帽子?」と問い返した。
「用件を申し出る時は帽子を脱いでから言うんでしょ。」
「そうなの?知らなかった。」
「そうなの?じゃないでしょう。誤魔化すなよ。」
「そう。次から気をつけます。」
その場を離れトイレで用を足しながら小さな声で「いつもどおりのやり方なのに細かいな…。」とつぶやいた。そのまき用を足しているとドアの陰から顔を出した。
「今うっせえなって言ったでしょう。」
「独り言ですよ。」
「文句言ったでしょう?トイレに入る前に舌打ちもしたし。」
「舌打ちは用便札を掛け損ねた際にしたかもね。」
「で?文句言ったんでしょう?」
「そう聞こえたなら申し訳ないですね。」
「謝れば文句って言って良いの?」
「すみませんね。気をつけます。」
「じゃあ認めるんだね。謝ったから連行します。」
その後、数日間の隔離調査の末10日間×閉居罰を言い渡された。独り言の「細かい」が「うっせえ」に変えられていたが、あまりごねて工場を移されたり処遇上(昼夜独居)にされるのが嫌だったので容疑を全て受け入れた。結果として年末年始に閉居罰を受けているのである。大晦日から1月3日までは罰を停止・延期できるが、やはり悶々とする。
ーー謝ったから連行ーー
あの時あの場で謝らないのが正解だったのか。若い職員だったし権力を得て、それを行使してみたくなるのも理解できる。しかし、あまり強権的にやり過ぎれば出所後に民主的な生き方が難しくなる。事実、私は幼少期に超強権的な家庭で育ってきた結果、現在刑務所にいるのだ。どんな家庭で育っても、まともな生き方をしている人もいるし私の言訳なのも理解している。ただ、親や教師の暴力を用いた強権主義を刑務所内で肯定されている気がしてくる。同時に余程でない限り暴力に対しても抵抗せず、必死に耐えてきた幼少期を否定されている気もしてくる。今になって思い返せば、本能的に民主的な生き方をしていたのかなとも…。
「点検用意」
職員が号令を掛ける。閉居罰最後の点検だった。
「点検」
職員の大声を聞きながら背筋を伸して目を閉じる。
さあ、明日になれば工場へ出役だ。
次に懲罰を科される時は、どんなに些細な容疑か。
その日がくるまで作業に努める。ただそれだけさ。
職員が叫ぶ。
ーー点検終わりーー
作品ジャンル
エッセイ
展示年
2025
応募部門
自由作品部門
作品説明
刑務所にいる私たちは大なり小なり罪を犯した者が多いです。だからこそ二度と罪をくり返さないという決心が必要です。しかし、刑務所内におけるルールは普通の社会であれば当然やるべきことが反則になります。例えば眉毛ですが、社会では他者に不快感を与えないように整えるものですが、所内では懲罰です。そんな規則が社旗復帰の妨げになっていることを知ってほしくて書きました。