作品タイトル
あなたへ
作者
ハイブリッジ
作品本文
今日であなたは、新しい人生へと歩んでゆく。
思い起こせば、あなたたちから身を引いてから、一度とて父親としてあなたに何もしてあげることができなかった。
それだけが悔やんでならないのです。
あなたに会ったのは、まだ生後3ヵ月にも満たない赤ん坊で、アクリル板に区切られた向こう側の対面が最初で最後のわずか30分程の逢瀬でした。あなたに触れることもできず、 一度も抱くことさえ叶わぬままの辛い別れでした。
父の存在を知らないまま育ってきたあなた。父が居ないという疑問を抱きながらそれを母に問い質すことはタブーだと思っていたんでしょうね。真実を知ることが怖かったんでしょうね。
あなたを女手ひとつで育ててくれた母を立派に支え孝行してくれた、立派に成長してくれた。ありがとう。
私は親として、忠告する権利もなければ、身内としての資格も失った今、許してくれとも云えません。
だけど分かってほしい。あなたは私の一番の宝物です。
長年、 あなたには本当に寂しい思いをさせた。私はそんなあなたを父としてちゃんと支えてあげることができなかった。
ごめんね!
あなたには今日から新しい家族ができる。その家族を何よりも誰よりも大切にしてほしい。お母さんが私たちにしてくれたように大切に大切にしてあげてください。 あなたに子供ができたら、私の孫ができたら、その子を世界一の幸せ者にするつもりで育ててあげてください。 私はあなたにしてあげることができなかったからね。
今、あなたが産声を上げた時の写真を見ているところです。
すっかり古びて黄ばんできたあどけないあなたの写真の顔を見ているところです。
嫁ぐということを知った時、あなたのあどけない顔になぜか、不幸が見え隠れ、父という名の不甲斐の無さに心の痛みを感じて目頭が熱くなっています。
今さら、父としてあなたの前に名乗り出ることはできないけれど、身内としての縁は戻せないけれど、これ以上、私のことであなたを苦しめたくもない。 あなたは私にとって永遠の宝物だから、あなたの幸せは私にとって何よりの幸せだから、それだけはずっと変わらないから。
男という字の人生に賭けた私の命だけど、せめてあなたには「幸」という字をたむけたい。他に贈れるはなむけの言葉は何もないけれど、最後に伝えたいことがあります。
今世の中は何が起きても不思議はない時代です。
天災はもとより、人災による重大事件も多発していて、世界で戦争も絶えず苦渋に満ちた世の中です。
これから先、あなたにも何かが起こらないとも限りません。人生七転八起と云います。 喜怒哀楽は誰しもが持つ経験であり、あなたにも付いて回っています。上を見れば切りがありません。
でも、どんなに苦しく何があっても、どんな困難に直面しても、魔の囁きに死の囁きに耳を傾けては駄目だよ。
死んじゃ駄目だよ。つらい思いを子供にさせちゃ駄目だよ。それは一番あなたが分かっているよね。強く生きるのだよ。あなたを育ててくれたお母さんの分まで。
直にあなたに伝えることが叶わないけれど、あなたの写真に語りかけ、ずっと伝えていたつもりなんです。
それは「笑顔」。いつも笑顔でいてください。 『笑う門には福来たる』と云います。笑っていればどんなつらいことも乗り越えて行けるでしょう。笑っていれば幸せになれるでしょう。 だからどんな時も笑顔を絶やさないでください。そんな笑顔ある家庭を明るい幸せな家庭を築いてください。
それがただひとつの願いです。父としての願いです。
結婚おめでとう。本当におめでとう!
あなたに愛の手を差し伸べてくれた人に感謝しています。
そっと閉じたまぶたの奥に晴れの門出の光景が見えています。いつまでも幸せにと祈っています。
心残りは晴れの舞台にあなたの花嫁姿が拝めなかったこと、バージンロードを歩けなかったことです。
あなたの知らない父より
2×××年×月××日
作品ジャンル
手紙
展示年
2025
応募部門
テーマ部門①「あなたへ」
作品説明
自らの過ちによって当時、生後3ヶ月にも満たなかった娘の将来を悲観し、入籍を断念したため、わが娘ながら自らの手で抱くこともできず別離した娘が父という存在を知ることもなく育ち、幸せを掴んでくれた当時の私の気持を伝えられなかった思い、叶えられなかった思いをそして、これからこうであってほしいという気持を伝えてみたかった。
なお、本作品は事実に基づいたノンフィクションであることを申し添えておきます。