作品タイトル
私の人生観
作者
セントポーリア
作品本文
人間の顔というのは、毎年、毎年、変化しています。
それは少しずつの変化ではありますが、確実に変化していくものです。
ちょうど木が一年一年、年輪を刻んでいくように、私たちの顔にも、年輪に似た魂の経験というものが刻まれている様に…
一日には、とてつもない可能性があるということを常に私は信じています。
その一方、無為に過ごせば後悔が残る時間でもある事を最近気づきました。
それまでの人生を振り返っても、一つとして同じ日はなかった。晴れた海のような日もあれば、積乱雲に覆(おお)われた日もあってまさに千日千様。
人はそんな日々を重ねつつ、一年を生き、一生を終えていく、だから、時に振り返る事はすごく大切であろうかと…
今日という日は、確かに自分の一生の1ページに値(あたい)したかどうかを…
思えばたった一日を有意義に生きることは一大事である。いや、有意義というのも今さら、おこがましく感じています。
結果にかかわらず、自分が自分らしく納得した一日をどう生きぬく大切さを知ることが、最重要であることになるだろう。
それは何気ない一日が、実は限りあるものと感じたとき、にわかに突きつけられる事は、大問題なのかも知れないことを…
この一日がかけがえのないものと知れば、すべてが珠玉(しゅぎょく)に見えてくる。
一日の目覚めで人生は変えられるかも知れない、だからこそ、昨日一日を振り返り、過ぎたことは過ごたことであり、過去は二度とはもどってこない。
しかし未来は変えることは可能であり、全力で生き、感謝と反省の心を抱きながら…
「人生の禍福(かふく)はあざなえる縄の如し」変転は激しいであるならば、後悔もまた人生の一部として、最初から捉(とら)えることにちがいない。
とすれば、おのずと、飽(あ)くなき挑戦を続ける姿勢はより尊いもので、後悔を減らす最善の策で実(みの)りある人生につながるものだろう。思えば、万物は流転(るてん)するの言葉どおり、人の営みや私たちが創(つく)るさまざまな物やしくみも、大自然と同じであり人間は後悔のたびにそれを糧(かて)にして、深みのある人へと成長を成し遂げるものです。
人間は単なる肉体ではない。肉体に宿り、肉体を支配している「魂(たましい)」心といるものがあるという事を信じている。
作品ジャンル
エッセイ
展示年
2025
応募部門
自由作品部門
作品説明
自分の人生から掘り出そうとした試みです。「世間で生きる」か。「自分流に生きる」か寿命は運。頭の中で万事が簡単になったことは確かだと思います。
年齢を重ねると、感情は背景に引いていきます。私のエッセイ作品は、年数が経ってから考えると自分の人生という、むしろ根拠と叙述にできるだけ、楽観的に、自分の生き方に役立つと思います。