作品タイトル
シャバッケ
作者
蓮下 かえる
作品本文
「お前は未だにシャバッケが抜けていないな」
新入期間を終え、それとなく日々の所内生活に順応しつつある昨今、世話になっている先輩受刑者から指摘頂いた一言である。シャバッケ。この東ヨーロッパの伝統料理みたいな風格を纏った新出単語を辞典で引いてみたところ、なるほど「娑婆+気」の造語であると理解した。娑婆―軍隊・牢獄など自由を束縛された世界に対して、そとの自由な世界のこと。則ち、入所して半年以上が経過してもなお、そとの自由な世界で養なってきた価値観を脱却できていないと認められる私を憂慮した先輩は、慈愛の精神をもって忠言を授けてくれたのだろう。その他意のなさに有難みを感じつつ、同時に皆目交じり気のない健やかさに、私は一抹の違和感を拭い去ることができていない。
国家が制定した遵守事項に違反しなければ、刑務所の中であっても、自由は存在すると思っていた。作業に真摯に取り組んで懲役の義務を果たしつつ、余暇時間には、自身の心の声に耳を傾けながら様々な趣味や勉学を通じ、社会復起のために各々が自己研鑽に励む。それこそが更生に向けた姿勢であると信じて歩み出した受刑生活だったが、目下、想定外の課題に見舞われてきた。
塵一つ目視できない箇所に対して再三繰り返される居室内清掃、一挙一動に付髄して反響する マナーという名の強迫的定型句、たぶん薄記三級より難易度が高い食事メニューの暗記暗唱……挙げ始めたらキリがないが、これらは皆、受刑者側が独自に設けたルールである。誰か個人が心から要請するこだわりであれば極力協力を惜しまないものの、受刑者が口々に語るのは「やらないとヤられるから」だ。本来誰もやりたくない、やらなくてよいことを、見えない誰かからの絆弾を恐れるが故に愚直に実行する。閉鎖空間の中で、これさえ守っていれば
自分は大丈夫なのだと安心して塀の外のことは考えずに、ただ敬虔に日々を過ごす受刑者は、どこか修道士と酷似するかもしれない。しかし、そこには神はいない。その空虚な信仰が受刑者を救済することは決してないのだ。
新選国語辞典によると、もう一つ別の意味があった。娑婆―種々の苦しみの多いこの世、人間界。天国では程遠い娑婆に再び召される日のために今を懸命に生きねばならないと考えると、受刑者は辛い。いっそうのこと、腐敗した偶像に首を垂れる安寧に脳細胞の全てを浸してしまいたくなる時もあるが、次の瞬間、どうしても私は婆波のことを思ってしまう。かつてあんなにも蔑ろにしてきた娑婆を、私は、この期に及んで猛烈に希求しているのである。娑婆のことをもっと知りたい。娑婆で役に立てるようになりたい。 娑婆で笑われるようなズレた生活はしたくない。娑婆、マジで愛してる。
やっぱり私はシャバッケが抜けない。否、抜く気がない。今後も生活していく中で理に解さないルールに遭遇し、疑問符を脳裏に浮かべつつも、保身のためにそれらに従わざるを得ないことがあるだろう。歪な慣習の一説を聖書のように引用し、教えに背いた人間を裁くことで己の支配欲を満たそうとするカルト教祖様が、きっとどこかに潜んでいるからだ。そんな時は、せめて娑婆のままの眼差しで、抱いた違和感を頭の中ではっきりと言語化していきたい。なにを美しいと感じ、どこに重きを置いて生きるのか、それを選択する自由だけは全ての人間に等しく与えられているのだから。そして、等しく与えられた大切な余暇時間を未来のためにどう使うのかも、私たちの自由であって欲しいと切に願う。
作品ジャンル
エッセイ
展示年
2023
応募部門
課題作品部門
作品説明
受刑生活の中で、ずっと心の奥に潜んでいた本音を露わにする場を頂けて感謝しています。所内誌でも随筆の募集がありますが、炎上を恐れて投稿を見合わせていた今日この頃です。