私の叫び – アフロ犬


作品タイトル

私の叫び

作者

アフロ犬

作品本文

私は マザーハウスの 活動や その他多くの人たちのやさしさに励まされ、どん底から立ち上がった一人の受刑者です。今回の刑務所アート展の通知を見て、正直あまり乗り気ではなかったのですが、募集テーマを目にして俄然やる気が湧いて来ました。 なぜなら、今、私が最も感じ考えている事だからです。 刑務所という特殊な環境の中で、様々な理不尽と戦いながら、無常や無念を感じる日日。そんな中で コロナや戦争が あらゆる場面で影響を及ぼし、否応なしに私たちの生活にも襲い掛かって来ます。
だからこそ、時間の大切さを感じるのかもしれません。エッセイと言われると何か難しく感じてしまいますが、今の私が考えている事を素直にまとめてみたいと思います。
よく刑務所の職員は「時間だけは平等なのだから無駄にしないよう…」と口にします。 そして その認識は一部の受刑者にも伝播しています。 もちろん私も過去に何度か聞いていますし当然のごとく理解したつもりになっていました。だけど、最近になって思います。「時間は本当に平等なのか?」と…。 確かに流れる時の経過が同じなのは 地球上に生きる限り 不変の事実です。 だけど使い方によって、同じ時間にも差が生じます。 又、環境や状況によっても雲泥の差になります。 そう考えたら、決して、平等とは言えないと感じるのです。
もう少し具体的に話します。 刑務所の中で5年という年月を過さなければならない人がいると 仮定します。当然ながら社会での5年と同時進行で全く同じ5年という時間が流れるわけですが、 じゃあ、全く同じ事ができるのか?と言われると、首を横に振らざるを得ません。
正直、私は刑務所での生活を経験して、 世の中にはこんな無駄な時間が存在するのかと 絶望すら感じました。そもそも 行動を厳しく規制される中で、やっと余暇時間が持てても ただ時間を持て余してしまいます。せっかく時間があるのなら 自分の可能性を広げるための勉強がしたいと思っても、 できない現実が刑務所(ここ)にはあるのです。 パソコンやスマホが持てる訳ではないので調べ物1つできません。 誰かに頼もうとしても手紙を通しての連絡なので、うまく意思疎通ができません。 それに そもそも施設の決まりで本以外の物は所持できないのですから、プリントした印刷物で情報が得られても 実行する術が無いのです。
もちろん、それは勉強に限りません。出所後に予定している仕事のために 板金塗装や 溶接の技術を身につけたいと 希望した所で、そんな 望みは叶いません。就労支援のための職業訓練があると言ったって、全国から数名しか選ばれない狭き門です。それでなくても選定基準が厳しすぎて、私など応募すらできません。これでは本を読んで知識を得る以外できることは皆無です。
それでは、せめて体を鍛えたいと思っても、決められた時間内の最低限の運動しか許可されません。当然場所も決まってますし、使える道具も限られています。そんな中でやれる事は、健康維持のための基礎体力作りぐらいです。
ここまでの話しで私が言いたいことは、時間と共に自由が無ければ、ただ時間を浪費するだけになってしまうということです。時間があるのにやりたい事ができないという事は苦痛です。時間の長さは個人差はあれど決まっています。時間を有効活用できて初めて 人生に色が付きます。時間が自由に使えるという当たり前の条件がなければ、平等な時間は得られないのです。そして刑務所で生きる私達は 自らその権利を放棄している状況であり、これこそが法治国家における罰なんだと改めて考えさせられました。
それから、時間の大切さを改めて考えさせられた出来事がもう1つあります。私には小学3年生になる長男がいるのですが、最近では一生懸命つたない字で 近況報告してくれるまでに成長しています。
その長男が入学式を迎える少し前ですから、2020年の初めです。人類はコロナウィルスとの戦いを始めました。 私が生きた世界の中では 他に類を見ない 前代未聞の戦いとなり、政府はついに国民に対し行動制限をかけるまでになってしまいました。
つまり長男の 小学校生活は丸々コロナ過にあることになります。学校,学級閉鎖が頻発し、遠足や運動会の行事ものきなみ中止となりました。授業での団体競技すら禁止され 友達と遊ぶ事も会話さえ禁止されたと聞きました。
今では政府も ウィズコロナに梶を切り、制限は大分緩和されているようですが、陽性者が出ると、学級閉鎖という状況は続いてますし、黙職、マスクの着用、手洗い,うがいなどの基本対策は徹底して継続中です。 もちろん、学校生活に止まりません。家庭生活においても、強くステイホームを求められ、習い事はおろか公園に遊びに行く事さえ儘ならなかったと聞きます。そんな長男の2年間はコロナ前を生きた同学年の生徒達と同じなのでしょうか? これだけの差が生じたら、とても平等な時間とは言えないのではないでしょうか? そのタイミングがたまたま高校3年生だったために甲子園を目指す事すらできなかった人達もいます。 オリンピックの夢を諦めた人もいたでしょう。又、ジャンルは違っても、航空業界への就職を断念し、就農を決めた人のドキュメンタリー番組を見ました。その他にも様々な影響を受けた人達が存在するのです。
そう考えた時に、私は思いました。 人生の時間にはそれぞれの流れがあり、そしてその時間は決して平等ではないのだと…
この事から言えるのは、この世には、不可抗力によって生じる不平等な時間が存在するという事です。同じ人生80年だとしたら、時の経過は同じです。 ですがその時間がどんな時代を経過しているのか?そして 当事者がどんな環境下を生きるかで、できる事も価値観も全く違うわけですから、一概に時間は平等だとは言えないと思うのです。
先に述べたように 子供達は、何も知らないまま 行動制限がかけられた世界を生き、何かしら将来の可能性にまで 影響が及んでいる危険もあります。
これも コロナによって生じた 不可抗力の 不平等な時間を生きるリスクなのです。
これまで書いてきた事で、この世界には 不公平な時間が存在し、その時間が不平等な人生を作っているという事実が理解してもらえたと思います。 そして その時間を作る原因は、自ら作ってしまう場合と、不可抗力によって作られる場合があると感じています。 万人に共通する事実として 人生は有限です。 人類は日々進化して、平均寿命を延ばして来ました。努力や心がけで、さらなる長寿も期待できる一方、明日何があるかわからないのも人生です。どれだけ人類が進化しても、どんなに化学が発展しても、時間だけは コントロールできません。そして巻き戻しもできません。 だから 時間は 貴重なのです。ここに来て コロナやウクライナ戦争が 世界情勢を不安定にしたせいで、より時間の大切さを痛感しております。
自らの体験も踏まえて、 今だからこそ 私は 声を大にして叫びたいです。『自ら 無駄な時間 を 選択する生き方を止めよう! 人生を 大切に 生きよう!』と。

作品ジャンル

エッセイ

展示年

2023

応募部門

課題作品部門

作品説明

自分が刑務所にいるから、こそ思ったこと、感じた事を 今の世界情勢、子供達の生活と重ねて表現し、時間の大切さを叫びたく 筆をとりました。

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