本記事は、「第3回刑務所アート展」作品カタログに収録した、PAC共同代表理事・鈴木悠平によるコラムです。展示に寄せられた作品や来場者との出会いを振り返りながら、「刑務所アート展」という活動を続ける意味について綴っています。
「壁」を越え、「はじまり」をつくり続ける 鈴木悠平
「表現の自由」は基本的人権としてあらゆる人に保障されている……とはいうが、一人の人間が誰かに何かを伝えようとして、言葉を紡ぎ、手を動かし、意味ある形(作品)にまとめあげるという「表現行為」は、実際のところ「不自由」だらけだと思う。技術や時間の制約はもちろんだが、表現をためらわせる一番の障壁は自分の「内なる声」かもしれない。うまくなければ、ユニークでなければ出す価値などない、という完璧症候群。お前のような人間にそんなことを言う資格があるのか、という脳内検閲官。この原稿を書いている今も聞こえてくる。編集者や表現者仲間に励まされ、あるいは締切に尻を叩かれ、なんとか書き上げて出してみれば、それらはほとんど杞憂だったとわかる。自分が怯えるよりずっと世界は広く、表現を受け取ってくれる読者と、必ず出会うことができる。しかしそのような出会いが生まれるのは、自分の作品を「発表」する機会があってこそだ。
右に書いたのは「刑務所アート展」の運営者としてというより、一人のもの書きとしての私の独り言に過ぎないのですが、この活動を続ける意味も、こういうところにあるのかもしれないな、と思います。
応募者のなかには、服役前から絵や書をかいていた経験のある人ももちろんいますが、募集案内を見てはじめて作品をつくってみたという人もかなり多いようです。
「社会でなかなか自己表現ができず(間違った表現ばかりでした)、自分がどうしたいのか、どう想っているのか、自分自身分からずに」生きてきたけれど、表現することを通して「新しい自分にも出会えた」という方。「短時間の面会や手紙では、なかなか伺い知ることのできない、息子の前向きな本音を知る機会」になったという応募者のお母様。いただいたお手紙からは、表現することが、これまで見えにくかった感情に触れ、新しい自分を創り出すきっかけになり得ることが伺えます。そうして生み出された応募作品には、一人ひとりの生きた歴史が刻まれています。作品と対面し鑑賞する人たちの内側にも、さまざまな問いや感情がさざ波のように広がります。
「こんなすごい作品をつくれる人が、どうして犯罪を……って考えてしまいます」と、作品から受ける印象と、作家の属性(犯罪者・受刑者)とのギャップへの戸惑いを率直に話してくださった方。「事故の直後は許せない気持ちでいっぱい」だったけれど、時間が経つなかで「加害者や犯罪をした人がどういう気持ちでいるのか知りたく」なったと、ご自身の変化を語ってくださった、とある事件の被害者遺族の方。「刑務所にいる人たちは、どうやって画材を得ていて、どのように送ってきているのですか」と、塀の中の創作環境に関心を持たれる方。何時間も滞在して、作家へのコメントシートを真剣に書いていかれる方。隣のおしゃれなカフェで有名なクリームソーダを飲みに来たら、展示の看板が目に入り、「なんだこれ?」と思いながら立ち寄ってくださった方。過去2回の展示でも、一人ひとりがそれぞれのきっかけで、思い思いの過ごし方をしていかれました。
「刑務所アート展」というタイトルを冠しているのは、展示作品が、刑務所という場所あるいは制度、その制限された環境の中で生まれる表現であること、刑務所とその外側の社会の関係にも影響される表現であることに着目してのことです。応募作品のなかには、犯罪をしてしまった自分の経験や内省、刑務所のなかでの暮らしをかなり直接的に描いている作品もありますから、おのずと刑務所、犯罪についての問いや思考が喚起される展示であると思います。ただ、語弊があるかもしれませんが、運営としては、全員が全員、まじめにというか、一生懸命というか、同じ温度感で犯罪や刑務所について考えなくてもいいですよ、ともお伝えしておきたいです。すべての作品に興味や関心を持ったり共感したりする必要も、もちろんありません。この作品好きだな、これはいまいちだな、よくわかんないな、自分もなにか描いてみようかな、とか、気軽に過ごして、自由に楽しんでいってください。そうしてたくさんある作品のなかから、もし何か一つ、どこか一行でも、心に残る表現に出会えたなら、それはとても尊い偶然だと思うのです。
姿の見えない、これまで出会ったこともない人がつくった作品なのに、なぜか自分の心を掴んで離さない。そんな、「たったひとつ」の作品、表現に出会えたとき、刑務所の内と外、加害と被害、当事者と非当事者といった「壁」を越えて、「わたし」と「あなた」は繋がり、響き合うことができるはずです。
刑務所アート展が、あなたにとって、わたしにとって、地域にとって、社会にとって、たくさんの「はじまり」のきっかけとなることを願います。

